今回は、「ゲド戦記」にてなぜアレンは父親を殺してしまったかについて解説してみたいと思います。
実は、アレンが父親である国王を殺すというストーリーは原作にはなく、ジブリ版のオリジナルです。
アレンはなぜ父親を殺したのか
まず、アレンと国王の関係性について触れたいと思います。
ジブリ版「ゲド戦記」では、はっきりと触れられてはいないのですが、アレンはセリアドの血を継ぐモレド家の王子です。
宮殿などにアレンがいたり、周りの人との会話からおそらく王子なのかなくらいはわかるかもしれませんが。
父親殺しをした理由
アレンの住むアースシーでは、世界の均衡が乱れ、竜たちは共食いをして、作物は枯れて動物は息絶えていました。
そうした世界の状況を垣間見たアレンは自身の中にある葛藤や苦悩等の感情により不安に苛まれるようになります。
そして、アレンの心の中にある闇を育ててしまい、その闇を抑えきれなくなってしまい父親を殺してしまったという流れかと思います。
このことは、中盤にゲド(ハイタカ)へ話した内容からも読み取れるかと思います。
父親を殺してしまったことに理由がわからないことにも悩んでいることがわかりますね。
原作とジブリ版の違い
原作では、父親を殺す事がなく、国王が旅立つアレンに「セリアドの剣」を持たせています。
つまり原作では剣が父から子へと正統に継承されているのに対して、ジブリ版では強引に剣を奪っており継承を拒んでいる形になっています。
ちなみに、原作でなぜアレンが旅立つ流れになったかというと、崩された世界の均衡を元に戻すため、ゲド(ハイタカ)の知恵をもらってきてほしいと国王に命じられたためという流れです。
アレンの父親殺しは鈴木Pの助言
ではなぜ、原作とは異なり、アレンが父親を殺すストーリーになったかを説明します。
きっかけは、鈴木敏夫プロデューサーの一言からです。
この言葉に宮崎吾朗監督は「え?刺していいんですか?」と驚いたようですが、アレンのキャラクター像が掴めたようです。
当初、宮崎吾朗はオープニングの絵コンテにて「お母さんがアレンを逃してあげる」といったストーリーを考えていたようです。
しかし、鈴木プロデューサーは「映画の冒頭には“アレン”が必要」、「この子は父親を殺しちゃうんだよ」とアレンを主軸とした流れを考えていたようです。
そして、「吾朗くんも父親のコンプレックスを払拭しなければ世の中に出られない」との考えから、アレンが父親を殺すというストーリーを提案したのです。
誤解が解決?
これで、1つ誤解されやすい内容が解決するかもしれません。
それは、原作を変えてまでジブリ版で子が父を殺すというストーリーにしたのは、「宮崎駿監督と宮崎吾朗監督の親子間に軋轢があることを揶揄している」というものです。
実際に予告編に「父さえいなければ、生きられると思った」というキャッチコピーがつけられた際に宮崎吾朗監督は自分のことだと思われると困惑していたようですね。
後になって、このキャッチコピーに対して「僕は父がいても生きていけますよ。」とコメントしています。
父親を殺した理由
アレンは冒頭でもお伝えしたように、父親が憎くて殺したわけではなく、自分でもよく理由がわからず心の闇に抗う事ができずに殺してしまっています。
宮崎吾朗監督がこのシーンで伝えたかったことは、
「若い頃には自分で自分をコントロールできなくなる、なぜ自分がそんなことをしたのかわからないことがあるんです。」
「自分を取り巻いている隙間のない存在の象徴が父親だと思ったんです。」
ということのようですね。
父親を殺したことの意味は単純に宮崎駿監督と宮崎吾朗監督の親子関係に限られたものでななく、悩み・苦悩・抑えることのできない衝動といったアレンの心の闇を通して若者たちの葛藤を描いているのかもしれませんね。